家族どうし仲が良くて会話が楽しい、これが幸せですし理想的な家庭ですね。
でも多くの人がそうでない現実に悩み、悲しんでいるのも事実です。その悩み悲しみは家族という大切な関係であるだけに心に重い課題となっています。
子どもが幼少の頃は会話もはずみ楽しかったのに、いつの頃からか心に距離が出来、会話がはずまない。心の中にはお互いを思いやる愛はあるのに。あるいはその愛すら心の奥深くに閉じ込めてしまっている。

「お母さんやお父さんは私を生まれた時から育ててくれたから私のことは何でもわかってくれるはずだ」「なのにちっとも私の気持なんかわかってくれない」と思っていませんか。
これは思い込みに過ぎないのではないでしょうか。
本来、人はそれぞれ違った個性と感性を持ち、例え家族と言えども似て非なる人間だということをよく理解することが大切だと思います。
もし家族がほとんど同じ個性や感性で同じような考え方をしていたら、他の人との交流はいっそう難しいものになるでしょう。
他の人の中に自分といっそう相性の合う人がいるから結婚が成立し、親友が出来ると思いませんか。ですから家族と言えども人は本来違う存在として創られているように思います。
よくよく見てみますと、
母と娘、父と息子といった最も近い存在でありながら、その感性や個性それにコミュニケーションの能力などには不思議なほどの違いを感じます。
片方は文学や心の問題に興味を持ち、人づき合いは苦手であったりしているのに、片方は深みのない雑談に楽しみを見いだし人との交流が得手であったり、お互い「なぜあんな人なの」と理解し難く思うこともあります。
やっかいなのは子どもがまだ純粋な成長の過程にあるとき、親が正しくない考え方や観方で子どもに接することです。見栄や世間体にとらわれて、その立場から子どもに対応していると知らず知らずに子どもを傷つけ追い詰めています。もちろん子どもは同じように傷つくわけではありません。兄弟姉妹でも違います。
人の心に敏感なすぐれた感性を持った子どもがいっそう傷つきますが、不幸なのは傷ついてふさぎこんでいる子がダメな子で、心の不純に鈍感な子が普通にいい子に思われてしまうことのような気がします。
親と子で心の感性に大きな隔たりがあるときが一番やっかいかも知れません。お互いなかなか分かり合えないからです。完全に理解し合うことは無理でしょう。
ここにこそ生きていく難しさと価値があると思いませんか。
こうして与えられた環境が自分を磨き、高めてくれると積極的にとらえることが一番の解決法ではないでしょうか。